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国鉄105系電車 | |
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可部線の105系。手前2両が新造車、奥2両が改造車。 | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 西日本旅客鉄道 |
導入年 | 1981年 - 1990年 |
総数 | 新造60両、改造66両 |
主要諸元 | |
編成 | 2両編成 |
軌間 | 1,067mm |
電気方式 | 直流1,500V |
最高運転速度 | 100 km/h |
設計最高速度 | 100 km/h |
起動加速度 | 2.0km/h/s |
減速度(常用) | 3.5 km/h/s |
減速度(非常) | 5.0 km/h/s |
車両定員 | 座席48・立席88(改造先頭車) |
自重 |
37.2t (クモハ105形 改造車) 42.5t (クモハ105形 新製車) 28.9t(クハ104形) |
全長 | 20,000 mm |
全幅 | 2,832 mm |
全高 | 3,935 mm |
車体 | 普通鋼 |
主電動機出力 | 110 kW |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 91:15 (6.07) |
制御方式 | 抵抗制御(永久直列)・弱め界磁 |
制御装置 | CS51形電動カム軸式 |
制動装置 | 発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ |
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105系電車(105けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1981年(昭和56年)から製造した直流通勤形電車である。国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継されたが、JR東日本は既に全廃されている。
三大都市圏で使用する通勤形電車は、1980年(昭和55年)頃までに一部を除き新性能電車への置き換えが完了していた。しかし、それ以外の地方電化ローカル線には依然として戦前から1950年代に製造された吊り掛け駆動方式の40系や72系などのいわゆる「旧形国電」が数多く残存し、製造後30年以上が経過して車体の老朽化や設備の陳腐化が進んでいた。一部には車体を新性能車と同等のものに更新した「アコモ改善車」と呼ばれる車両も存在したが、走行性能や整備面での新性能車との差が大きく、車両運用上の支障となった。このため、これらの路線の旧形国電は大都市圏の線区に最新式の車両を投入する事で捻出される新性能電車を転用および新製増備で置き換えを進める構想を立てていた。
だが、利用者の少ない時間帯に2両編成の列車を運行している路線では、既存の新性能車両では置き換えにくい事情があった。旧形国電では走行に必要な機器は電動車1両で完結した状態ですべて搭載しており、MT比1対1の2両編成を自在に組むことが可能なシステムを持っていた。これに対して新性能電車は長編成を組む大都市圏での運用を前提に電動車2両で1つの機構として完成するユニット電動車方式(MM'方式)を採用しており[注 1]、2両編成を組んだ場合は2両とも電動車とならざるを得ない。これはローカル線では過剰性能の上に不経済であり、変電所容量などに問題が出る可能性もあった。
そこで、旧形国電と同様にMT比1対1の2両編成を組むことができるように、電動車1両に走行機器を集約した構造を持つ車両として開発されたのが本系列である。これが「1M方式」であり、後年同様の思想を持って誕生した車両 (119系) を含めて「1M国電」や「新性能1M国電」という通称で呼ぶこともある。
国鉄における1M方式の新性能電車としてはすでにクモユ141形郵便車や143系の事業用車、荷物車での実績があったが、これらは駅間距離の長い線区を113系・115系電車と併結して高速走行するのに適した性能を有している。しかし本系列投入線区は駅間距離が短く最高速度も低いため、性能面ではむしろ大都市の通勤電車の主力である103系に相当するものが求められる。
このため新設計にあたっては、経済性を重視しシステムを簡素化すること、新設計品である主制御器・主抵抗器以外は極力標準品を採用すること、将来の投入が予想される線区にも配慮したシステムを採用することに重点がおかれた[1]。
電動車1両で走行可能なシステムを採用し、電動車1両あたり付随車1両を連結する構成で経済性を確保している。運転に必要な機器類はすべて電動車に搭載しているため、1両で入換等にも使用可能である。基本は1M1Tであるが、1M2Tでも旧形電車の1M1Tに相当する性能が発揮できる[1][注 2]。
台車と主電動機には、当時の国鉄の標準的通勤形電車であった103系と共通のDT33系台車とMT55系主電動機を装備した。1:6.07 (15:91)の歯車比、発電ブレーキ付、応荷重装置・空転検知装置付である点も103系と同様である[1]。
主回路については、簡素化と小型化のためMT55形4台で永久直列回路を組み[注 3]、直並列組合わせ制御は行わない[注 4]。主制御器は新たに開発された1M方式用のCS51形[注 5]で、103系程には高加速性能を要さないと判断し制御段数もより少なく設計されている[注 6]。また単一ユニット走行時の冗長性確保の観点から、電動発電機 (MG) 停止時も最寄り駅まで走行可能なように制御に必要な電源は常にバッテリーから供給している[1]。主電動機を台車単位で開放可能とし、非常時には2個モーターでの走行も可能である[1]。変電所容量の小さい線区を走行する際は、運転台の切り替えスイッチで限流値を低く設定できるようになっている[1]。
MR147形主抵抗器は、電動送風機を廃した自然冷却方式が特徴である。
MGについては、103系冷房改造時の発生品であるMH97-DM61A(容量:20kVA)を流用している。空気圧縮機 (CP) については国鉄型電車の汎用品であるMH80A-C1000形を採用している。
本系列には、大別して2つのグループが存在する。
105系 新造車 | |
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![]() クモハ105形0番台 (2006年3月26日 宇部新川駅) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 西日本旅客鉄道 |
製造所 |
東急車輛製造 近畿車輛 日立製作所 |
製造年 | 1981年 |
製造数 | 60両 |
投入先 | 福塩線、宇部線、小野田線ほか |
主要諸元 | |
保安装置 | ATS-SW |
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1981年初頭に福塩線および宇部線・小野田線の旧形電車の置き換え用に製造されたグループである。車体の基本構造は103系と同じで、先頭車の前頭部は踏切事故を考慮した強化型で運用の都合から貫通型となり、窓周りに201系と同様の黒色ジンカート処理を施している[注 7]。車体断面も単純化され、屋根コンタは中央部5,000R、肩部250Rのごくシンプルなものに変わった。対する103系のそれは肩部から順に250R・1,000R・2,500R・5,000Rであった。[2] 側面は両開きの客用扉を片側3か所とし、戸閉め装置は自動・半自動両用である。無人駅での車掌業務に配慮し、417系同様に[1]扉の開閉は編成中のどの運転台からでも操作が可能である。車端部側窓上部に電動行先表示器を備えるが、連結した際に隣り合うのを防ぐため点対称の配置で取り付けられている[1]。内装のカラースキームは201系に準じたものとされた。座席はすべてロングシートであるが、長時間の乗車に配慮して座面の奥行きを深く、また高さを下げたものとしている。ローカル線での運用が主となるため冷房装置は搭載されなかった[3]。また将来、同系列を他の線区に投入する際は、抑速ブレーキや耐寒耐雪設備を容易に追加・変更できる構造となっている[3][注 8]。
当初の計画どおりに制御電動車クモハ105形と制御車クハ104形を連結した2両編成を標準としたが、4両編成での運転がある福塩線には運転台設置のコストを省いた中間電動車モハ105形と付随車サハ105形も用意され、クモハ-サハ-モハ-クハの4両編成が4本落成した。
クモハ105形27両・モハ105形4両・クハ104形25両・サハ105形4両の計60両が製造され、福塩線用として府中電車区(後の府中鉄道部)に24両、宇部・小野田線用として宇部電車区(後の宇部新川鉄道部)に36両が配置された。
しかし、運用の合理化のために福塩線のモハ・サハ105形は1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に新造車と同一の運転台を取り付ける改造が実施され、それぞれクモハ105形とクハ104形に編入された。新造車とは乗務員室側扉直後の窓配置が異なる。番号は新造車の続番で、新旧対照は次の通り。
また、1984年には可部線の72系置き換え用としてクモハ105形2両とクハ104形5両が両区から広島運転所に移動している。
現在の陣容は、クモハ105形31両とクハ104形27両の計58両である。クモハ105形の中には単独で増結用とされている車両も存在している。
105系 改造車(西日本向け) | |
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![]() 桜井・和歌山線用の集中式冷房搭載編成。 (2006年8月27日 和歌山駅) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 西日本旅客鉄道 |
種車 | 103系1000番台、0番台 |
改造所 | 国鉄長野工場、名古屋工場、吹田工場、幡生工場 |
改造年 | 1984年、1990年 |
改造数 | 61両 + 補充車1両 |
投入先 | 桜井線、和歌山線ほか |
主要諸元 | |
保安装置 | ATS-SW |
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1984年の奈良線・和歌山線五条駅 - 和歌山駅間・紀勢本線和歌山駅 - 和歌山市駅間(奈良電車区配属)の電化開業用および可部線(広島運転所配属)の旧形電車置き換え用のグループである。
当時、折からの国鉄改革により設備投資が抑制されていたことからローカル線区向け車両の新造ができず、203系の投入で常磐緩行線から捻出された103系(1000番台、一部0番台も)と阪和線で余剰になっていたサハ103-66を活用して奈良・和歌山線用に48両、可部線用に13両の計61両が改造され、前者は奈良電車区[注 9]に、後者は広島運転所に配置された。改造工事は長野・名古屋・吹田・幡生の各車両工場にて施工された。
改造種車が103系であることから新規製造車グループとは異なる片側4扉の車体となっているが、制御機器は同様のものを新調しており、台車や主電動機も元々同型であるため、両グループの性能は同一で相互の併結・混結も可能である。なお、客用扉の自動・半自動の切換えについては、種車である103系のドアエンジンの構造上対応が困難なため、奈良電車区配置車両は通年自動扱い、広島運転所配置車両は通年半自動扱いとされた[3][注 10]。ちなみに広島の車両については、新規製造車グループと併結した場合に相手方の自動・半自動の切換えが行えるよう、運転台に切換えスイッチを設けているのが特徴である[4]。上述の通り車体も運転台取り付け以外は流用しているため、屋根コンタは103系のものであり、肩部から順に250R・1,000R・2,500R・5,000R[2]となっている。
側面行先表示器は、種車の103系が未装備のため装備していない。MGは、種車(モハ102形1000番台)が10kVAのものを装備しているため、奈良電車区に投入したクモハ105形にはこれを流用したが、需給上不足が生じることから、広島地区に投入するクモハ105形については新規製造車グループ同様の20kVAのものを装備した。応荷重装置も実用上問題ないため種車のものを流用している。奈良・和歌山線向けの改造車には自動解結装置と電気連結器を設けた。
クハ105形100番台以外は運転台直後の戸袋窓がない。クハ105形0番台は103系時代にATCの機器室とされていたため、その他は運転台ユニットとの接合場所となったためである。
105系 改造車(東日本向け) | |
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![]() 仙石線用のクハ105形100番台 (1990年1月13日 陸前原ノ町駅) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 |
種車 | 103系0番台 |
改造所 | 国鉄郡山工場 |
改造年 | 1987年 |
改造数 | 4両 |
廃車 | 1998年 |
投入先 | 仙石線 |
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1987年(昭和62年)には、仙石線の石巻近郊の区間列車用に郡山工場で2両編成2本4両が追加改造されている[5]。仙台車両センター宮城野派出所#過去の配置車両も参照。
こちらは103系0番台の4両編成1本が種車とされ、中間の2両を先頭車に改造する形で登場した[5]。制御電動車と制御車の向きは統一されている[5]。追加された運転台の機器の一部は同時期に廃車になった101系のものが再用された[5]。また、当時103系が水色塗装だったのに対し、本系列では白地ベースに赤と青の太帯塗装であった[5]。
民営化時には仙石線向け4両をそのまま引き継ぎ、引き続き同線で使用していたが、1990年(平成2年)に103系と同じスカイブルーに塗り替えられた。当初はスカイブルー1色であったが、103系との識別のため、2か月ほどで前面に2本の白帯が追加され、600番台のみ前面補強が行われている。1998年(平成10年)に浦和電車区から転属した103系更新車2編成に置き換えられて運用を離脱し、廃車となった。除籍後は、600番台が横須賀線久里浜駅構内にある横浜支社訓練センターで、100番台が武蔵野線新秋津駅構内にある八王子支社訓練センターで乗務員訓練用(機械扱い)として用いられており、塗装もオリジナルのものに変更された。しかしどちらも傷みが酷いため4両とも2008年(平成20年)に209系を改造した新しい訓練車に置き換えられた。その後600番台は訓練センター内で、100番台は長野総合車両センターへ配給輸送されてどちらも解体された[6]。
民営化時には仙石線用を除く121両が承継された。上記の事故で1両が廃車となったものの、代替車が用意されたので、2005年(平成17年)10月に103系改造車の老朽廃車が発生(後述)するまでは121両のまま推移していた。
2019年10月1日時点では84両が以下の4区所に配置されている[7]。
和歌山線・桜井線・紀勢本線で運行される車両は、先述の通りかつては奈良電車区に所属していたが、その後新和歌山車両センター(当時)に転出し、現在、奈良線では使用されていない。
製造コストを抑える目的から冷房装置は搭載されていなかったが、国鉄時代の1985年(昭和60年)から集中式AU75系列による冷房改造が始まった。新造車については113系などに似た天井になり、扇風機はなくなったが、改造編入車の天井は103系と同様の形態になっており、扇風機は残存している。しかし、AU75系列での冷房化改造には車体補強などの改造が必要である等、コストのかかるものであった。そこで、1988年(昭和63年)からは架線の直流1,500Vを直接電源とする床置形のWAU202形簡易冷房機をクモハの室内車端部に設置する方式の改造に変更され、1992年(平成4年)には全車が冷房車となった。
1989年(平成元年)からはワンマン運転対応への改造が実施されており、ほとんどの車両で施工済みである。新在家派出所所属の車両は全車が本系列への編入改造時に自動解結装置も装備されている。
新造車グループには延命リニューアル(社内名称:体質改善工事)が施工された。内容は、側窓の交換(113系リニューアル車と同等の上段下降・下段固定の黒サッシ)、窓枠の交換(113系と同様の銀色枠)、雨樋の張上化、内装化粧板の張り替え、腐食しやすい箇所のステンレス化などで、同時にクハ104形にトイレが設置された。紀勢本線用については車椅子対応となり、車椅子スペースも設置されたが、岡山・広島支社管内配置の車両は改造車グループと同じユニットを使用したため、車椅子対応ではなく客用ドアとトイレの間に空きスペースがある他、トイレ前の座席も存置されている。この差異は、紀勢本線用のトイレ設置に際しては沿線地方自治体の補助があったのに対し、山陽地区用はJR西日本独自の工事だったことから起きた。この新造車グループに対するリニューアルは全車両が完了した。
冷却性能が悪く、しばしば故障するなど信頼性に乏しいWAU202形を搭載した車両は、リニューアルと同時に103系などの廃車発生品である分散式WAU102形3基に交換された。WAU102形も冷却性能はAU75系列などには劣るものの、WAU202形よりは向上している。また、103系からの改造編入車ではクハ104-551のみがWAU102形を搭載している。
改造車グループでは103系延命NB工事に準じた延命工事が行われたが、ごく一部に施工されたのみで終了した。103系では現存するほぼ全車が腐食防止のために戸袋窓を埋め込んでいるが、これもごく少数にとどまっている。現在はクハ車へのトイレの設置が進んでいるが、ドアが新造車よりも外側に設置されていることや、向かい側の座席を撤去して車椅子スペースを設けなかったこともあり車椅子対応ではない[8]。
2004年(平成16年)に快速「マリンライナー」で運用されていた213系が岡山エリアの普通列車運用に転用されたのに伴い、岡山電車区所属車両に余剰が発生し、0番台の一部がリニューアル施工とトイレ設置の上、新和歌山車両センター(現:吹田総合車両所日根野支所新在家派出所)へ転出し、塗装も和歌山支社色であるオーシャングリーンにラベンダー帯に変更された。
2004年の台風16号によって岡山区F8編成が宇野線宇野駅構内留置中に高潮により水没し、一緒に留置中だった岡山区の115系D18編成とともに使用不能となり、長期間下関地域鉄道部下関車両センター(現:下関総合車両所)で修理工事が行われていた。その後営業運転に復帰したが、その時期は115系D18編成より遅れた。
2005年10月より、広島運転所(現:下関総合車両所広島支所)所属103系0番台改造車の制御車であるクハ105形100番台は元和歌山所属の105系(上記リニューアル車の転入で余剰となった車両。こちらも103系からの改造だが経年が浅い)制御車への置き換えが進行し、2007年2月8日に最後まで残っていたクハ105-102がクハ105-11に差し替えられたことで完了した。
2009年11月29日から「奈良旅万葉ラッピング列車」の第一編成「旅万葉」が運行を開始した(桜井線#奈良旅万葉ラッピング列車の運転を参照)。また、同年12月6日からコンテスト優秀作品の「万葉の四季」が運行を開始した。これらは車内もラッピングされており、座席モケットも茶系のものに交換されている。
なお、103系1000番台からの改造編入車(4扉車)は、種車の製造から45年前後経過して老朽化が顕著なことから、2015年から運用を開始した227系の増備により順次淘汰が始まっている。広島地区では2016年3月26日のダイヤ改正時に車両を3扉車に統一し[9]、下関総合車両所広島支所所属の4扉車が2016年3月25日をもって運用から外れ、同年4月15日付で廃車、3扉車についても2019年3月16日のダイヤ改正をもって運用から外れ、廃車・転属が進められている[7]。下関総合車両所運用検修センターの4扉車については、長らくクモハのみが増結用として2両在籍していたが、広島支所で余剰になった3扉車に置き換えられ、2016年6月16日付で廃車された。一方、和歌山線・紀勢線・桜井線用の4扉車についても、沿線へのICOCA導入対応を含めて、2019年9月末までに全車227系1000番台に置き換えられた[10]。そして、同年10月26日の臨時列車を以って和歌山線からは完全に撤退した[11][12]が、紀勢本線紀伊田辺〜新宮間で運用されている新造車グループの検査代走用として、一部が現在も使用されている。
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車両総数に比して塗装のバリエーションが非常に多いのが本系列の特徴である。なお、名称は便宜上付けたものである。
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